病気・障がい

【難病】アッシャー症候群(網膜色素変性症)とは?

 

 

難病。

24時間テレビやドキュメンタリーなどで色々な人の難病を見てきましたが

「大変そうだなぁ」「私も耳が聞こえないけど私より大変なのに前向いていてすごいな」と

やはり他人事で私が難病になるなんて考えもしませんでした。

 

熊野かずこ
熊野かずこ
こんにちは、熊野かずこです。

私は耳が聞こえないだけではなく、もうひとつの病気を抱え込んでいます。

その病気を、詳しくお話したいと思いますのでどうぞ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

そして、この病気を理解していただいてもっとたくさんの人を知ってもらって、同じ病気をもつ人にも何か力になれたらと思います。

この難病についての説明と私の難病が発覚したきっかけの流れを紹介します。

 

アッシャー症候群とは?

おそらくあまり聞いたことがない病名だと思います。

アッシャー症候群とは、難聴に『網膜色素変性症』という目の病気を伴う病気です。

熊野かずこ
熊野かずこ
つまり耳も聞こえなくて目も悪い人です。

盲ろうの中にアッシャー症候群によって光も失われてしまった人もいます。

 

では、網膜色素変性症とは何なのか今からわかりやすく説明します。

 

網膜色素変性症とは?

ネットで調べてみると色々な説明がありますが、簡単にいうと

人間が物を見るためには光が必要です。

眼の中に入った光は、眼底の網膜で焦点を結びその情報が脳へ送られて物が見えるのです。

その網膜には1億数千万個もの視細胞という光を感知する細胞が集まって構成されています。

しかし、網膜色素変性症はこの視細胞が年齢よりも早く老化し、機能しなくなってしまうため、視細胞が働かなくなった部分は光を感じ取れなくなります。

次にこのような病状が現れます。

個人差がありますが、10歳ぐらいから発病して徐々に進行していきます。

病状その1、夜盲

※現在、私の見え方です。

夜盲ではじまり、少しずつ視野が狭くなります。

さきほど書いたように、視細胞が働かなくなった部分は光を感じ取れなくなるため、光が少ない夜は見えづらくなるわけなのです。

個人差がありますが私の場合は今では夜、車の運転や外に歩くときは非常に見えづらく怖いです。
※現在、車の運転はしていません。

映画館も薄暗いため、見えづらく席まで行くのに大変です。

エンドロールが終わらないと明かりがつかないので席から離れることもできません。
(特に洋画のエンドロールは英語なのでさっぱりわからずボーッとしてます。。(笑))

 

病状その2、視野狭窄が少しずつ狭くなる

 

見える範囲が周辺部分から中心に向かって狭くなっていきます。

足元が視界に入らないため、つまずきやすかったり、球技をしているときに球を見失いやすかったり、人混みで人にぶつかったりなど、昼間でも大変なことが多くあります。

だから、私は昔からよく転ぶことが多く、ドジだね~なんても言われてました。

 

病状その3、視力低下

個人差と進行によって変わってきますが、私の場合は小学2年の頃からもう視力低下し、メガネをかけるようになりました。

熊野かずこ
熊野かずこ
私も弟もゲーム好きだったのですが、弟は高校生になって目が悪くなってメガネをかけるようになりました。

これが視力低下の差なんですよね。

 

色覚異常や光視症、羞明などの病状も…

進行すると、普通の人より眩しさを感じたりなども後々出てくることもあります。

これも個人差があります。

 

進行速度は個人差がある

しかし病状の進行速度には個人差がみられ、症状の起こる順序にも個人差があり、最初に視力が低下してから夜盲を自覚する人もいます。

ゆっくりと進行したり、40歳になって光が失われたり年を取ってもギリギリ見えている人もさまざまです。

 

病気の原因は?

ほとんどが遺伝による発病です。

熊野かずこ
熊野かずこ
この病気は人口3.000人~8.000人に1人の割合ですって。

その一方、アッシャー症候群では、人口10万人あたり約6.7人と推測されているみたい。

ただ、この病気は認知度が低いため周りも自分自身でも気付くのに遅かったり、知らないまま過ごしている人も少なくはないと思います。

 

原因となる遺伝子はいくつか知られていて、優性遺伝、劣性遺伝、伴性遺伝などのパターンで遺伝します。

近親者にこの病気の人がいなくて突然発病したように見られることもあります。

私の両親、弟、親戚には同じような病気の人はいませんでした。

 

治療法は?

現時点では治療法が確立されていません。

つまり、完全に治るということがなく、いつ目が見えなくなるのかもわからない、怖い病気です。

病院によって庵順応改善薬やビタミン剤、網膜循環改善薬などが対症療法的に処方されます。
ただ、これらの薬が病気の進行を確実に遅らせているという証拠は、今のところ得られていないようです。

 

強い光を避ける

この病気は遺伝子が関係しているので、今のところ根本的な治療法がありません。

視細胞は強い光を長い時間受けると、寿命が短くなるということが動物実験で確認されています。

なので、視細胞をなるべく守るようにサングラスをかけて対策します。
※屋内でサングラスをする必要はありません。

ルーナ
ルーナ
治療目的は病気の進行を遅らせることなのね。

 

難病が発覚するまでの流れ

私は生まれつき『感音性難聴』という聴覚障がいをもっています。

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小学生の時期

小2年になった頃、視力が下がり、メガネをかけるように。

その時は、ゲームが好きでやりすぎて視力が落ちたんだと思っていました。

そして小5、6年の時、キャンプなどで暗い場所に行くと道が見えづらく、友達の腕をしがみつきながら歩いていました。

まだ幼かった私は目の病気だということもわからず、暗くて見えづらいのはみんなも同じなんだと思い込んでいました。

その時はまだ、今よりは見えていた方でした。

中学生の時期

中学生になって、部活にはバトミントンにしました。
(といってもろう学校の生徒数が少ないため、バトミントン部と陸上部しかないんですよね)

バトミントンをした時、よく球を見失って外してしまったりなかなか打てませんでした。

これもただの下手なんだと思い込んでいました。

 

高校生の時期

やっと、異変に気づいたのは高校生になってからでしょうか。

『夜になると見えづらいのかな?』『みんなと同じなのかな?』

『みんなは夜になってもなんで普通に歩けるのかな?』など疑問をもつようになりました。

そこに、学校の先生が『夜盲症』じゃない?と言われました。

 

夜盲症の疑惑?

 

『夜盲症』とは、夜になると視力が著しく衰え、目がよく見えなくなる病気です。 俗に「とり目」ともいわれています。 明るいところから暗いところに入ると、すぐには何もみえませんが、しばらくすると暗さに慣れて、まわりがみえてきます。 これを暗順応といいます。

池袋サンシャイン通り眼科診察所より

 

熊野かずこ
熊野かずこ
それを聞いた私は「あ~そうなんだ!!確かに寝ているとき、最初見えづらいけど後からだんだん少し見慣れてくるし…」と納得し、病院にもちゃんと行かなかったのです。

両親にももちろん伝えたことがありましたが、「皆も夜になると少し見えづらくなるから同じなんだと思うよ」と言われたのでそれも受け取ってしまいました。

もしこの時、早く気づいていれば進路が変わっていたかもしれませんね。

 

社会人へ

結局、高校を卒業して社会人になり、会社で働くことに。

カメラ組み立ての仕事で残業が多く、夜遅く車の運転をしながら帰ることも多かったです。

車のライトや周りのライトがあるからなんとか運転するものの、夜の運転が大変でした。

社会人になると、夜飲み会など多くなり、暗い場所で友達と手話で話しても相手の手話がよく見えず、なかなか話せませんでした。

 

運命の2018年

そして、気づけば、卒業してからあっという間に7年経ちました。

2018年4月。

私はずっと前からイラストレーターの仕事をしたいと思い、2度目の会社を辞めて県外の学校に通うことになりました。

 

通い始めてから3週間ほど経ってからでしょうか。

とある日、突然、先輩から

『あの、失礼なことかもしれないけど…君、眼科に行った方がいいかもしれない』と言われました。

なぜ??と聞いてみると

『放課後、バトミントンをした時、落ちた球をすぐ見つけられなかったり、外が暗くなると階段をなかなかうまく登れないのを見て、おかしいなと思った。

僕の友達も高校生の時、見えていたけど大人になって目が悪くなって杖も必要になってしまったんだ。病名は忘れてしまったけど…』

という、とんでもない不安な言葉を投げてきたのです。

熊野かずこ
熊野かずこ
私が目の病気…?ないない、コンタクトの定期検査でも異常ないと言われてるんだから。

自分をそう聞かせながら、病院に行くのを拒否していました。

 

しかし、先輩の言葉が頭から離れず、気になってネットで調べていくうちに

どんどん不安な気持ちが膨らんできました。

そして、私はきちんと診察受けてみようと決意し、すぐ近くにある眼科へ向かいました。

 

初めての診察へ

先生には『夜になると見えづらいのですが』と伝えると『わかりました。検査してみましょう』と言われました。

ここで、初めて散眼薬というのを聞きました。

散瞳薬とは?

人間の目はまぶしさを防ぐため、光が当たると瞳が小さくなり、目に入る光の量を抑える働きをもっています。

瞳(瞳孔)を大きく開いて、眼の奥の広い範囲を調べるための必要なので、散眼薬を使って一時的にその働きを弱め、瞳を大きく開いて目の奥の広い範囲を調べることができます。

※点眼した後、しばらくはぼやけて見えたり、まぶしく感じます。

これだけではなく、視力検査、眼圧検査などを受けました。

患者が多かったのもあり、2時間くらいかかっていました…

 

そして、結果。

網膜色素変性症の疑いありです。早めに大きな病院で検査を受けることをお勧めします』と告げられました。

その時の私は『網膜色素変性症』という病気自体がわかりませんでした。

『夜 見えづらい』と検索すれば『網膜色素変性症』が出てきますが、私が検索したときは違うキーワードでたまたま出てこなかったので知らなかったのです。

先生から病気についてのパンフレットを渡され、待合室でお会計を待ちました。

待っている間、パンフレットをチラッと読んでみました。

開いた瞬間、『徐々に視野が狭くなり、視力を失うこともある遺伝性の病気で、治療法は確立されていない』という文字が目に飛び込んできたのです。

手が止まり、どういうことなのかと動揺が止まりませんでした。

動揺しながらも、次々と読んで行きました。

 

まだ“疑い”だから、確定したわけでもないのに私はもうすでに絶望でした。

自分にはわかる。だって、この病気の特徴とはまったく当てはまるから。

すぐ母に連絡するが、『なにかの間違いなんだと思うよ』と言われました。母親としては信じたくないと思ったのでしょう。

 

本当の診断

そして5月28日。私の誕生日の後のことでした。
両親と一緒に大きな病院に行き、詳しい検査を受けました。

その結果、やはり『網膜色素変性症』でした。

あぁ…やっぱりかと、涙が出ました。

 

どうして私なんだろう。

耳が聞こえない上に、光まで奪われていくなんて

私は何のために生まれてきたんだろう。

将来のことがとても不安で、一人では生きていけないかもしれないと思いました。

しばらくは落ち込みが続き、仲がいい友人にも打ち明け、たとえ目が見えなくなったとしても友達だよと言ってくれて励ましてくれる人がそばにいるんだと気づき、少しずつ元気を取り戻すようになりました。

 

さらに耳が聞こえないということもあり、聴覚検査と脳波検査など詳しい検査を受けて

半年後、ようやく『アッシャー症候群』と正式に診断されました。

最初に書いていたように、アッシャー症候群は難聴と網膜色素変性症の目の病気を持っている人です。

それが、私の病気です。

 

1日1日を大切にしよう

必ずしも目が見えなくなるわけではない。

もしかしたら、いつか治療法が出てくるかも知れない。

だけど、この病気の進行は確実にゆっくりと進んでいく。

小学生の時よりも明らかに悪化している。

時間は限られる。

 

だからこそ、私は今、毎日、1日1日大切にしています。

当たり前な日常があることが幸せなことなんだと毎日感じています。

 

耳が聞こえるからこそ、両親や友達、みんなの声が聞こえる。

電車の音、鳥の鳴き声、風の音…あちこちから聞こえてくる、日常の音。

光があるからこそ、両親や友達、愛する人の顔が見える。

テレビを見たり、本を読んだり、空を見上げたり

桜、花火、紅葉、雪…世界中のすべてのものが見える。

 

そんなのいつか全部なくしてしまうと、怖くてたまらないです。

今の私は、念願だったイラストレーターのお仕事と映画、嵐の応援、友達と外で遊んだり楽しんでいるのですが、もしも今より見えづらくなったり、見えなくなってしまったらどうやって人生を楽しめばいいのかとまだ考えています。

 

それを見つけていくために、1日1日を大切しながら過ごしています。

 

皆さんも、それぞれ辛いことがあるかもしれません。

私の方が辛いんだよとかそう言っているわけではありません。

ただ、皆さんに当たり前な日常であることが幸せなことなんだということを伝えたかったです。

どうか、皆さんの幸せな日常が続きますように。

 

熊野かずこ
熊野かずこ

ここまで長く読んでくださり、ありがとうございました。

今後は日記として網膜色素変性症や色々なことなど、色々書いていきます!

 

ご意見やご感想がありましたらぜひお聞かせください。